沿革
本校の歴史
日本校の沿革
2018年9月、サプタルシ・バナジーによる来日セミナーが端緒となり、アレンカレッジ日本校の前身が発足
翌2019年9月、日本国内の有資格者に向けてアレンカレッジによる通訳付き「実務家コース」を開講
2020年11月、おそらく国内では初となる二十名のホメオパシーの実務家(Post Graduates)を認定
2021年9月、ゼロから学ぶホメオパシー「ホメオパス養成コース」第一期を開講
2022年10月、横浜市内に校舎が完成
2025年6月、ホメオパス養成コース第一期生が卒業
アレンカレッジ日本校では
インド・コルカタ方式として知られる古典的ホメオパシーを
伝統を受け継ぐ第一人者から直接 学ぶことができます
その背景には非常に重厚な歴史がありました
バナジー家の伝統:5世代に及ぶホメオパス医が紡ぐ診療と教育の実績
五世代にわたり献身的なホメオパスを輩出するバナジー・ファミリーは
おそらく世界で最も長く続くホメオパシーの家系として
臨床的洞察力と教育者としての英智を脈々と受け継いでいます
「古典に忠実たれ」揺るがない姿勢、緻密さ、そして真の癒しに根ざした伝統
百有余年におよぶバナジー家の伝統 ーー 卓越した経験則の蓄積、教育者としての確かな系譜。五世代にわたるホメオパシー実務家の揺るぎない歴史がここにあります。
ホメオパシーが誕生した19世紀初頭、創始者ハーネマンの薫陶を受けドイツからインドに移住した医師がコルカタで開業していました。そのサルツァー博士に教えを請うたのがバナジー家の初代ホメオパスです。当時の首都コルカタで開花したインドの重要な医療体系であるホメオパシーはこのように、その草創期から源泉に忠実であり、現代にまで活かされています。
その後ホメオパシーは主に米国でさらなる発展を遂げていきます。20世紀初頭、バナジー家の第二代ホメオパスとなるキショリ氏は、親友とともに北米に渡り、当時の名門学府であったホメオパシー医科大学を卒業しました。創始者ハーネマンと連携し研究を深めたもう一人のドイツ人ヘリング博士をはじめ、今や伝説的ともいえる多くの賢人 ーー リッペ、ケント、アレン、ファリントン、ボーガー、ロバーツ等による、古典的叡智への深い忠誠と献身が、ここ米国においてホメオパシーの黄金時代を築き上げていたのです。(非常に残念なことですが、ホメオパシー医科大学やホメオパシー専門病院などが各地に林立していた米国においては、その後、度重なる行政指導によってホメオパシーが衰退していくことになります)
当時のホメオパシー界の巨匠ケント博士に学んだ若きチョウドリー氏と、もう一人の賢者アレン博士にマヤズムをたたき込まれたキショリ・バナジー氏はインドに帰国後、共同でホメオパシー医科大学と附属病院を設立し、教育と臨床を開始します。これがアレンカレッジの最初の姿でした。ちなみにマヤズムに基づく治療という概念は、このときから確実に継承されているものです。
先代から学長の地位を継承した第三代バナジーは、臨床と研究と教育に専心し、伝統を守り続けるだけでなく、さらに洗練させた手法 ーー しかしシンプルで迷わない効果的かつ体系的な、理論に裏打ちされた手法を編み出していきました。病状のみに注目することなく、その人らしさをも含めた「全体像」を取り出すことを目指し、浮かび上がる全体像に対する「最類似」レメディを処方する。現場の同胞と切磋琢磨したこの手法は、今も「コルカタ式処方」としてインド国内においても高い評価を得ています。
各世代においてバナジーは伝統を重んじつつも現状に即した実践手法を採用し、卓越した処方家そして先駆的な教育者であり続けています。第四代バナジーは英国へ拠点を移してアレンカレッジを設立。第五代バナジーは世界的に注目されるホメオパスとしてYouTubeでは業界最多の登録者八万人超を獲得しています。本校が教育し実践するホメオパシーは時代に即した適応を続けながらも、シンプルで、ぶれない、体系的な、論拠のある、純正な哲学および古典に基づいたホメオパシーであり続けています。
今日、英国を拠点とするアレンカレッジ(Allen Collge of Homoeopathy)は、世界中に広く定評を受けたこの伝統を継承しています。アレンカレッジ日本校(Allen College of Homoeopathy Japan Division)は、ひとつの教育機関として、日本へ、日本語を母語とする皆様へ、この伝統を伝える役割があると自負しています。「何も足さない、何も引かない、ありのままの古典に基づくホメオパシー」俗人のエゴを排し、あくまで巨匠の哲学に忠実であるホメオパシーをお伝えしていることが、本校の何よりの特徴といえるでしょう。
正確に学び、忠実に模倣することで、再現性の高い、真の癒やしがもたらされます
スブラタの曾祖父:ホメオパス
生年:1846年。
没年:1906年。
故カリパダ・バナジーは1846年カルカッタ近郊に生まれました。ホメオパシーに興味を持ち、当時は専門学校がなかったので独学で勉強を始め、そのうち近所の人々を診療するようになりました。やがてその評判が知れ渡り、診療所には多くの患者が集まりました。
当時、コルカタにはハーネマンと文通していたこともあるドイツ人医師L.サルツァー博士が診療所を開いていました。ある日、若きカリパダ氏は難航していた症例への助言を求めるため、好評を博していたサルツァー博士を訪問します。その症例における臨床記録が非常に秀逸であったので、サルツァー博士は感銘を受け、ホメオパシー臨床を続けるように彼を励ましました。
その後、サルツァー博士は彼を医療助手・兼通訳として雇います。これによって地元で話されているベンガル語での問診にも困らなくなりました。さらに,カリパダ・バナジーはホメオパシー薬局を開業し、サルツァー博士が嘱託医を担当しました。都合38年間、カリパダ・バナジー博士はホメオパシー診療家として活躍しました。
スブラタの祖父:ホメオパス
生年:1886年11月。
没年:1941年2月27日。
キショリ・モハン・バナジー 博士は故 カリパダ・バナジーの息子であり、アレンカレッジ校長スブラタ・バナジー博士の祖父に当たります。1886 年にカルカッタ近郊で生まれました。
1. 幼少より古典 ホメオパシーの手ほどきを父親から受ける。
2. 成年に達するとカルカッタでホメオパシーを学ぶ。この頃までにカルカッタはホメオパシーのメッカとなるまでに発展していました。
3. 米国へ渡航。ホメオパシーに欠かせない「マヤズム」を、あのジョン・ヘンリー・アレン博士の文字通りお膝元で学びました。
4. 帰国後、ベンガル アレン ホメオパシー医科大学および附属病院を設立。(1924 年、入院設備50床)
5. 恩師への帰依と感謝の念を込めて、大学の名前にはアレン博士の名前が冠されました。
6. アレン博士の薫陶を受けたお陰により、インド国内においてマヤズム分析による処方の第一人者として活躍しました。
7. 都合24年間、ホメオパシー医師として診療に従事。
8. 55歳の若さで逝去。
第五版 § 285, 286, 287。 分割用量により、段階的に質と量を変化させることで驚くべき反応が達成される。
彼の英知、直観、迅速なマヤズム診断技術の遺産はその次世代へ継承されます。
スブラタの叔父:ホメオパス
生年:1910年4月。
没年:1974年11月24日。
しばしば「ホメオパシーのメッカ」と称されるカルカッタで、ナバ・クマール・バナジー博士は、幼い頃から著名な父親のもとで古典的ホメオパシーに触れていました。長じてホメオパシー医学を修め、1941年からはベンガル・アレン・ホメオパシー医科大学および附属病院の学長に就任しました。
ホメオパシーの豊かな叡智を継承し、米国で開花した「マヤズム処方」における第一人者として彼は 34 年間ホメオパシー診療に従事しました。豊かな伝統に習熟し、また優れた感性を駆使して「数分間の診察でレメディを選定する」即時処方の技法をさらに洗練させました。また多くの著作を遺しました。
スブラタの父: 微生物学者およびホメオパス
生年:1930年12月24日。
没年:2011年6月16日。
ランジット・クマール・バナジーは微生物学者として活動した後、ホメオパシー資格を取得し、国内唯一の国立ホメオパシー大学において病理学の講師となりました。
スブラタ・クマール・バナジー (Subrata Kumar Banerjea): BHMS FFHom FHMA
ホメオパシー医師・講師
生年月日:1957年9月6日
カルカッタで、3世代に渡って伝説的なホメオパシー医師を生み出した家系に生まれた彼は、幼少期からハーネマンを尊敬し、すぐれて合理的な自然科学の一つである古典ホメオパシーに最大限の献身を捧げてきました。
長じては近代の大聖人ラーマクリシュナとその弟子ヴィヴェカナンダの哲学が息づくラーマクリシュナ・ミッション・アシュラムに入学し、静謐で神聖な雰囲気の中、優秀な成績で学業を修めた。
医学教育においては、BHMS第一期生としてカルカッタ大学に入学。インド国内において初の統一的かつ集中的な五年半の課程をつねに優秀な成績で修了した。卒業時には9科目で優等賞、5科目で金賞(一等賞)を獲得した。
医学生としての全期間で首席の座を譲らず、最終卒業試験のマテリア・メディカ(口頭試問)では当時の最高得点93%を記録した。
1981年、若干24歳にして処女作『Synoptic Memorizer of Materia Medica』(全2巻)を上梓。
世界各国の学術誌に累計数千通におよぶ多くの論文を投稿し、多くの著作を執筆し続けている。日本語訳には『マヤズム治療の大事典』(ホメオパシー出版)がある。未邦訳の著作は『マテリアメディカの手引き』『目で見るマヤズムと基調』『忙しい現代人のためのホメオパシー』『ホメオパシー治療前後の診断書付き症例報告集』など。インド国内外においてホメオパシー界の重鎮として高く評価されている。 四代目としての功績は、古典に基づくホメオパシーを西洋においても再現性の高い実用的な療法として確立させた点だといえよう。現代医薬を長期的に服用する人々が遭遇する多様な状況においても対応できるよう、先代までの臨床経験を応用し、積極的なオルガノパシーなどを考案し、それを学術誌に投稿し、学生にも惜しげなくありのままに教えてきた。
中でも、人間の振るまいや性格をより具体的にレメディと対比した 「所作に基づくマテリアメディカ」は斬新かつ実用的で高評を得ている。また文献の隅々まで写真のように記憶し引用する驚異的な知識によって縦横に織りなされるマテリアメディカの講義は学徒を魅了してやまない。
インドから公式に派遣される最初の講師として1990年はキエフ医科学アカデミーへ、1992年にはナイジェリアへ赴き、マヤズム分析講義を行った。現地でも初めての海外講師として歓迎された。 マテリアメディカを生き生きと語り、またマヤズムの理論と実践をありありと伝える講師として、インド各地のみならず通算36か国で講義を行ってきた。
1986年からベンガル・アレン医学研究所の所長を務め、世界各地から集うホメオパシー実務家のさらなる成長に貢献している。
現在、英国エセックス州にてアレンカレッジ英国本校の校長を務める傍ら、精力的な臨床活動と慈善活動に全霊を傾けている。
メール: dr.subratabanerjea@outlook.com
本校HP: www.allencollege.co.uk
サプタルシ・バナジー (Saptarshi Banerjea): ホメオパシー医師・講師
生年月日:1988年12月26日
サプタルシ・バナジー博士(BHMS, M.D.(Hom.))
ベンガル・アレン医学研究所 副所長
タイ国オラワン・ホリスティック・インスティテュート海外顧問
アレンカレッジ 客員講師
サプタルシ・バナジー博士は、広く尊敬を集める著名なホメオパシー一家の第5世代です。ホメオパシー薬学(マテリアメディカ)の文脈に対する極めて深い理解と、処方に際して人間とレメディの相関性を見いだす鋭い洞察力により、彼の診療および処方は特に重篤な病理を有する症例において注目に値します。こうした実務経験を土台として講義されるマテリアメディカは、インド国内をはじめ世界各国の受講生から非常に高評を得ています。
西ベンガル州の農村部やコルカタ市内の貧困地域を定期的に訪問し、ほぼ無料でホメオパシー診療に取り組んでいます。本拠地となる診療所においては時として1日に約60人を越える患者を診察します。これほどの診察数をこなすために必要となるのが、マテリアメディカの広範かつ実践的な知識と、先祖伝来の叡智、そしてその場で機転を利かせることのできる感性でしょう。三代目スブラタ学長から長年にわたる薫陶を受け、サプタルシ講師は今や一流の治療家であり教師として活躍しています。
サプタルシ講師の講義を受けた人は誰しも、ホメオパシー教育への彼の熱意を、驚異的な知識を惜しみなく分かち合うその姿に見いだすでしょう。自分の経験や知識を余さず共有し、多くの人に役立てて欲しいと心の底から願う、その献身的な姿勢に感動するでしょう。
わずか数日のセミナーだったとしても、サプタルシ講師の授業に感銘を受けない人はいません。短時間でもどれほど多くの実践的・臨床的なホメオパシーの知識と「先祖伝来の奥義」が伝授されることか。毎回、ときに百ページを超えるほどの配付資料に基づき、パワーポイントによる詳細な図解や症例とともに講義が進んでいきます。多くの実務家が汎用する「ポリクレスト」から、役立つけれど忘れられてしまった「小さな」レメディまで、状況に応じたポテンシー選択なども含み、多角的かつ具体的な講義は、インド国内の現役ホメオパシー医の多くにとっても魅力的です。
「コルカタ式処方」とも称される、西ベンガル州にて発展した診療手法において、レパートリー(症状に基づいてレメディを検索するソフトウェア)を使うことはほぼ皆無です。というのも、マテリアメディカに対する絶対的な知識が息づいているからです。症状の数量に比例するレパートリー検索とは異なり、症状の全体像に対するキーノート処方はむしろ本質を捉えたものだといえるでしょう。
サプタルシ講師は授業で「私にできるから、あなたにもできる」 広範な知識を披瀝するだけでなく、手元の資料を活用することで記憶力に依存せず講師と同じようにレメディ選択ができることを教えてくれます。 臨床に役立つ比較マテリアメディカ、マヤズム分析によって導出される処方箋、ポーテンシー選択の考え方、こうした技巧を総合することで実現する「迅速な処方術」へのヒントを受講者は学ぶことができます。
サプタルシ講師は大学課程においてマテリア・メディカを専門とし、また大学院では「ADHDおよび自閉症スペクトラム障害に対するホメオパシーの有効性」に関する学位論文を執筆し、医学博士号(M.D.)を取得しました。
サプタルシ講師は、コルカタ市内に診療所を開業し、地方や貧困地域にて慈善診療を行うほか、教育活動にも積極的に参画しています。これまで海外には米国、タイ、クロアチア、ロシア、日本に講師として招かれ、短期の公開講義や医師向けセミナー、アレンカレッジの実務家コース (Post Graduate) などを担当しています。
メール: dr.saptarshib@gmail.com
個人HP: www.saptarshibanerjea.com

1846年
故カリパダ・バナジーは1846年カルカッタ近郊に生まれました.基礎教育を受けた後,ホメオパシーに興味を持ち,当時は専門学校がなかったので独学で勉強を始め,そのうち近所の人々を診療するようになりました.あるとき難航していた症例への助言を求めるため,カルカッタ市街で当時好評を博していたドイツ人ホメオパス・サルツァー博士を訪問します.その症例における臨床記録が非常に秀逸であったので,サルツァー博士は感銘を受け,ホメオパシー臨床を続けるように彼を励ましました. その後,サルツァー博士は彼を医療助手・兼通訳として雇います.これによって地元で話されているベンガル語での問診にも困らなくなりました.さらに,カリパダ・バナジーはホメオパシー薬局を開業,サルツァー博士が嘱託医を担当しました.都合38年間,カリパダ・バナジー博士はホメオパシー診療家として活躍しました. 彼の哲学はハーネマンの指示に忠実です. 「単一レメディの処方」オルガノン第五版・箴言256脚注,第六版・箴言275; 「極小の砂糖粒」オルガノン第五版・153,155,285; 「水に溶かす」オルガノン第五版288,第六版・246,272 そして「反応を観察し,見届ける」こと

1886年
第 2 世代: Kishori Mohan Banerjea: ホメオパス、 生まれ: 1886 年 11 月 。1941 年 2 月 27 日に死亡。キショリ・モハン・バナジー 博士は故 カリパダ・バナジーの息子であり、校長スブラタ・バナジー博士の祖父に当たります。1886 年にカルカッタ近郊で生まれました。 1. 幼少よりクラシカル ホメオパシーの手ほどきを父親から受ける。 2. 成年に達するとカルカッタでホメオパシーを学ぶ。この頃までにカルカッタはホメオパシーのメッカとなるまでに発展していました。 3. 米国へ渡航。ジョン・ヘンリー・アレン博士の文字通りお膝元でマヤズムを学びました。 4. ホメオパシー カレッジとホメオパシー病院を設立。入院患者を受け入れる50 台のベッドを備え、1924 年にベンガル アレン ホメオパシー医科大学および病院と名付けました。 5. 彼は学んだ指導者/恩師への献身と心からの感謝のためにアレンという名前を付けました. 6. アレン博士の薫陶を受けた、マヤズムアプローチによるホメオパシー処方の巨匠。 7. ホメオパシーの開業医として 24 年間勤務。 8. 55歳の若さで逝去。 9. 彼の哲学は父の足跡を踏襲したものであり、そこに迅速なマヤズム診断のアプローチとスタイルが追加されたのでした。また彼はケント派の高ポテンシー処方者でした。そして分割可能の教義を信じていました。たとえば第五版 § 285, 286, 287。 分割用量により、段階的に質と量を変化させることで驚くべき反応が達成されました。 10. 彼の英知、直観、迅速なマヤズム診断技術の遺産を息子に伝えました。

1910年
第 3 世代: Dr. Naba Kumar Banerjee スブラタの叔父であるナバ・クマール・バナジー博士は、1910 年 1 月に生まれ、1974 年 11 月 24 日に亡くなりました 。彼は、ホメオパシーのメッカと呼ばれることが多いカルカッタでホメオパシーを学びました。ナバ・バナジー博士はその後、1941 年からベンガル アレン ホメオパシー医科大学および病院の校長になりました。 ホメオパシーの豊かな遺産に恵まれ、彼は 34 年間ホメオパシー診療を実践しました。多くの著作において、彼は父親から受け継がれた「マヤズム・アプローチ」のマスターホメオパシー処方者であると言われています。彼はまた、処方の豊かな遺産と直感のおかげで、即時処方の技術をさらに発展させました。 ナバ・バナジー博士は、彼の英知、直感、迅速なホメオパシー処方技術、マヤズムによるレメディー診断などを次の世代に伝えました。

1930年
ランジット・クマール・バナジー、スブラタの父
生まれ: 1930 年 12 月 24 日。
微生物学者のランジット・クマール・バナジー氏は、後にホメオパシーのディプロマを取得し、政府のホメオパシー大学で病理学の講師となった。

1957年
第4世代:
スブラタ・クマール・バナジー(Subrata Kumar Banerjea)、BHMS FFHom FHMA
ホメオパシー実務者および講師
生まれ: 1957年9月6日
カルカッタで、3世代に渡ってホメオパシーの伝説的な家系に生まれた彼は、合理的な治癒術である古典的なホメオパシーに最大限の献身を捧げてきました。
スブラタ・クマール・バナジー博士は、ナレンドラプールのラーマクリシュナミッションアシュラムに学び、ラーマクリシュナとヴィヴェーカーナンダの哲学の穏やかな神聖な雰囲気の中で学校生活を無事に終え、名誉あることに第一師団に配属されました。彼の医学的学術的業績は、カルカッタ大学で多くの切望される栄誉と記録をもたらしました。彼は、5年間の集中的かつ総合的な全日制カリキュラムを
経て、カルカッタ大学におけるホメオパシー学位第一期生として、卒業時には9科目の優等点、総得点は学内最高位を獲得して5つの金賞を受賞しました。
在学中の成績はつねに最高位を保ち、最終卒業試験マテリア・メディカ(口頭試験)では最優秀得点を獲得しました。
処女作は、彼がまだ24歳だった1981年、「マテリア メディカの概要記憶術 (全2巻)」という書名で出版され、マテリア メディカにおけるユニークな記憶法を紹介したことで幅広い人気を博しました。初版はたちまち完売し、またこの記憶法は今や多くの教師が援用しています。
これに加えて、彼の『マテリア・メディカ・ガイド』、『ミスター&ミセス・ソラ・チャート』、『悪化チャート』などをはじめ、近著『マヤズム治療のための大事典』は、ホメオパシーの世界で絶大な人気を博しました。
ホメオパシー講師としても、マテリア メディカに命を吹き込んだ第一人者として、さらには臨床ホメオパシーにおいてあらゆるケースにマヤズムを見いだす手法を教授することでよく知られています。光栄なことに、国際的な講演活動にも精力的に参与してきました。ホメオパシーが利用されるほぼすべての国々に赴き講演したと言っても過言ではないでしょう。
1990年4月にはソ連邦キエフ医学アカデミーに、また1992年にはナイジェリアに、マヤズム治療とその哲学に関する講義を行いましたが、いずれにおいてもホメオパシーを教授する初めての外国人として招聘を受けた初のインド人ホメオパスでもありました。
現在はベンガルアレン医学研究所の所長であり、祖父が設立したベンガルアレンホメオパシー医科大学の国際教育部門の所長でもあります。このベンガルアレン医学研究所は1986年以来、海外のホメオパスを対象とした臨床ホメオパシートレーニングコースを実施してきました。
最近でも定期的にインドに帰郷し、重篤な病状(進行がん、ネフローゼ症候群、脱髄疾患など)を診療するクリニックを運営しています。
彼の哲学は、過去3世代にわたる古典的なホメオパシーのテクニックと、個人のしぐさや癖から治療法を見つけるための古典的な「望診」テクニックを踏襲しています。第4世代のホメオパス兼医師であり、世代を超えた知恵、直感、臨床の宝石を受け継いできました。インドはじめ彼が講義を行った多くの海外諸国では、バナジー博士はマヤズムと比較マテリアメディカについて徹底した希有な教師として高く評価されています。彼はまた、一面的な病気や抑圧が蔓延する現代社会においてマヤズムの層を剥がすことにも注力しています。
インドの診療所では、膨大な数の患者をごく短時間で執着心に診ることになります。それを支えているのが、比較マテリアメディカ、そして臨床ホメオパシーのヒントなどです。知識を的確に応用し症例に深く切り込むという組み合わせが、強力で成功した処方につながります。
スブラタ K. バナジー博士は現在、1998年に設立されたイギリスのエセックスにあるアレンホメオパシー大学の校長を務めており、多忙な診療の傍ら、カルカッタモバイルクリニック慈善団体の運営にも積極的な役割を果たしています。

1988年
第5世代:サプタルシ・バナジー
ホメオパス医師、講師
生まれ:1988年12月26日。 BHMS、医学博士(ホメオパシー)
ベンガル・アレン医学研究所副所長 海外コンサルタント - オラワン ホリスティック研究所、タイ 英国エセックス州アレン・ホメオパシー大学 客員講師
サプタルシ・バナジーア博士は、バナジー家の 5 代目ホメオパスです。 彼は、田舎やスラム街のさまざまな診療所でホメオパシー臨床医として働くだけでなく、自身のメディカルセンターで患者の診察も行っています。
サプタルシは、バンコク、日本、米国、カナダでもホメオパシー大学院コースを運営してきました。遍大なマテリア メディカ知識に基づいた彼のホメオパシー処方に関する洞察は、学習者に自信を与える原動力となり、講義を非常に有意義で分かりやすい内容にしています。
彼の講義の一部はYouTubeで視聴できます: https://www.youtube.com/channel/UCbXVM0VFIFxpWktnSL1cVDg
